思索の試作

impulse to discuss

最後の「大好きの選択」へ祝福を:楠木ともりさんの虹ヶ咲卒業に寄せて

2022年11月1日。それを見た私は一呼吸おいてからスマートフォンを閉じ、そっとベッドの上に仰向けになりました。いつかは決断が下ることだっただろうと自らを納得させようとする理性と、動揺を隠せない感性が私の中でせめぎ合っていました。

 

 

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』(以下、虹ヶ咲)優木せつ菜・中川菜々役 楠木ともりさんの降板が公になってから今日で3か月になります。私なりにこのことに向き合おうと思い、拙い言葉ながらこれまでに考えてきたことを、ここにまとめておきたいと思います。

 

 

1. 孤独な猶予

私たちの住む現実世界では、成長期を除いて人の声がある日突然変わるということはめったにありません。よく知る人にそんなことが起こったらきっと当惑するでしょう。ましてやフィクションのキャラクターにとっての"声"は、聴き手にそのキャラクターを同定させ人格を信じ込ませるための数少ない重要な要素の一つです。
その"声"を取り替えるという誰の目にも明らかな大手術を、ラブライブ!シリーズは初めて経験することになりました。

 

ラブライブ!メンバー単体の魅力とメンバー同士の関係性の双方を、キャラクターの次元とキャストの次元の両面で掘り下げていく*1、2×2のコンテンツ構成を得意としています。そのキャラクターとキャストのシナジーはライブなどで遺憾なく発揮され、私たちを時に圧倒し、時に驚かし、時に笑わせ、時に感動させてくれるものです。
それゆえに「楠木さんが演じるせつ菜」だけではなく、「せつ菜を演じている楠木さん」や「キャスト同士で絡む楠木さん」のことを楽しみにしていたファンも多いはずで、そこに今回の卒業が与えるインパクトは計り知れないものがあります。

 

隣で踊っているメンバーを見るとどうしようもなく自分も同じことがしたくなってくる、と楠木さんが涙ながらに語ったことがあります*2。ステージ上で体いっぱいにせつ菜を演じたいのに、身体がそれに追いつかない姿を一万を超える観衆に見せつけなければならない苦痛。それを楠木さんはたった一人で抱え続けなければなりませんでした。替えが利かない仕事のやりがいや使命感は、裏を返せば逃げ場のない重圧をもたらしてしまいます。特に役と芝居に妥協を許さない楠木さんにそれは重くのしかかったことと思います。「歌だけでも良いからステージで姿を見せてほしい」、という私のようなファンからの素朴な願いは、ご本人にとっては拷問にも等しい声援だったかもしれません。

 

だから、体調不良の発覚と同時に降板を申し出るという選択もあったはずです。それでも楠木さんはそこから2年以上の間、優木せつ菜役・中川菜々役を背負い続けることを選びました。
そしてその間、虹ヶ咲は2度のドーム公演にアニメ2期とさらに大きな飛躍を遂げ、より多くの人々の心にその歌と言葉を届かせることができたのです。アニメ1期で作品を深く知り、4thライブで初めて現地へ足を運ぶことができた私も、紛れもないその一人でした。京セラドーム大阪で観た『ヤダ!』も、東京ガーデンシアターで観た『MELODY』も、楠木さんがせつ菜で良かったと思える景色がいくつも脳裏に焼き付いています。
いつかは決断しなければならないモラトリアムの延長だったとしても、孤独に苦痛を引き受けることと引き換えに、その時までずっと全力でせつ菜に生命を吹き込んでくれたこと。近江彼方役の鬼頭明里さんは寄せ書きで「ギリギリまで頑張ってくれてありがとう」*3と声をかけました。キャストの心身の健康を考えれば単なる美談としては語れませんが、その間にも多くの人々がせつ菜に出会えたことに心から感謝したいと思います。

 

またその決断の時においても楠木さんとプロジェクト!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会は、ファンがなるべく率直に受け止められるように最大限の配慮を欠かしませんでした。ご本人の自発的な意思を重んじるプロジェクトからの丁寧な説明、楠木さんからのあくまでも前向きな意思表明、キャスト12人からの寄せ書き。このような交代でネガティブな議論を引き起こしてしまう作品も多い中、できる限り禍根や憶測を残さないよう工夫されたきわめて円滑な発表形式となったと思います。

 

「途絶えかかった大好きは、確かにあなたへ繋がっていた」

 

2. 残ったもの

私が初めて楠木さんのことを知ったのは、2018年のTVアニメ『ソードアート・オンライン オルタナティブ ガンゲイル・オンライン』でした。楠木さんの活動初期における主役キャストでしたが、現実世界とフルダイブゲームの世界内で異なるキャラクターの演じ分けの妙や、優しい声で歌われたエンディング曲『To see the future』のことを印象的に記憶しています。
しかしその後、楠木さんの魅力をより深く知ることになったのは虹ヶ咲を通してでした。メンバーと笑いあうだけで場が華やぐ明るさ、コメントや挨拶ににじみ出る作品への深い洞察、歌と芝居に対する一貫した妥協のない姿勢。こんな傑出した人物を虹ヶ咲が失うのはあまりにも惜しいと思うと同時に、虹ヶ咲でなければここまで楠木さんに深く触れることはなかったと思います。そこから興味が広がり、昨年の12月にはソロアーティストとしての楠木さんのライブ*4にも参加してきました。張り上げる歌声と今にも消えてしまいそうなウィスパー、客席とバンドメンバーを巻き込む楽しいMC、考え抜かれた自作のライブタイトルとタイトルロゴ、細部にまでこだわったグッズ考案など、楠木さんらしさが詰め込まれた素晴らしい場所でした。
キャラクターとキャストの両面へクローズアップするラブライブ!のコンテンツ展開の中で、いつの間にかキャスト本人にもトキメキを見いだし、その背中を押したいと願うようになった人は私のほかにもたくさんいるはずです。楠木さんが虹ヶ咲に残してくれたものは枚挙に暇がないですが、反対に虹ヶ咲がこれからの楠木さんに残してあげられたものがあるとするならば、その一つはこれではないでしょうか。

 

「あなたの大好きだって、私は見ていたい」

 

3. 最後の「大好きの選択」

2023年1月10日、新規制作が発表されているスマートフォン向けゲーム「ラブライブ!スクールアイドルフェスティバル2 MIRACLE LIVE!」における優木せつ菜のメンバープロフィールが掲載され、そこにCV名の記載がないことが小さな話題となりました。

lovelive-sif2.bushimo.jp

「私といっしょに大好きがいっぱいの世界を作っちゃいましょう!」で締めくくる彼女のセリフは、虹ヶ咲の活動初期に公開された意気込みコメントの一節です。優木せつ菜がその重要なパートナーを失った出来事を前にして、このセリフは皮肉じみた言葉になってしまったという呟きを目にしたことがあります。誰よりも強い思いでどれだけ頑張ったとしても、どうにもならず道半ばで夢を諦めなければいけない時がある、という現実に目を向けなければならないということなのでしょうか?しかし、本当にそれだけだったのでしょうか?

 

楠木さんにとっての「大好き」とは何でしょうか。歌うこと、声を吹き込むこと、それによって誰かの心にあかりを灯すこと。そうして巡り会った虹ヶ咲という場とメンバーのこと、せつ菜のことも「大好き」の一つになっていたに違いありません。であるならば楠木さんのこの決断は、自らがせつ菜を演じるという「大好き」と比べて、自らの愛した虹ヶ咲とせつ菜がさらに輝いていくという「大好き」を選び取ったことに他ならないのではないでしょうか。
私にはせつ菜と同じように歌って踊ることはできません。しかし、自分には辿り着けないステージにまで誰かを押し上げること、この人だ!と決めた誰かへ夢の実現を託すことが"推し"という行為だと思います。今、数万人のファンと沢山のスタッフ・メンバーと、加えて一人のキャストがせつ菜にその夢を託そうとしています。これからの私たちが目指すのは、そんなせつ菜の野望が叶うよう声援を絶やさないこと、そんな「大好きがいっぱいの世界」をこの目で見届けることではないでしょうか。その景色こそが、虹ヶ咲のキャストとしての楠木さんが最後に選んだ「大好き」だからです。

 

アニメ2期6話では、スクールアイドルフェスティバルと文化祭の同時開催に暗雲が立ち込めたとき、一人で問題を抱え込んで諦めようとしていた菜々は同好会メンバーや他校のスクールアイドル達に助けられ、無事開催へとこぎ着けることができました。大切な仲間となら一人でできないことだって成し遂げられる、という象徴的な回です。今回は皆の力で楠木さんを助けることこそ叶いませんでしたが、その願いを皆で受け止め、未来へ繋いでいくことならできるはずです。この「大好き」の連鎖は、10年以上もの間ラブライブ!とそのファンが脈々と続けてきたことでもあります。
楠木さんご自身も「大好き」の実現を決して諦めたわけではありません。1stアルバムの制作が発表されたアーティスト活動に、続々と新作品へのキャスティングが決まっている声優活動で、その挑戦は続いていきます。


まず今できるのは、2月4日・5日のA・ZU・NAユニットライブとその後の振り返り生放送など、虹ヶ咲で楠木さんと過ごせる時間を残さず楽しむことです。そして4月以降、次のパートナーとなる新キャストを暖かく迎え入れるところから始まります。キャラクターの側としては、新しいせつ菜にどのくらい馴染めるか私はまだ正直分かりません。それでもキャストの側では、3度にわたって4人の新メンバーを仲間に加えて全員でライブまで大成功させた虹ヶ咲ならきっと大丈夫、という根拠のない予感があります。

 

もっとも、楠木さんと共に歩んできたここまでの道のりで、せつ菜は既にその野望を少しずつ叶え続けてきたともいえます。その輝かしい記憶はこれからもせつ菜と私たちと共にあるでしょう。しかし、始まったのなら貫くのみという優木せつ菜がここで立ち止まるのはらしくありません。

この先を見据えれば、想像の将来を越えて越えて、その向こう側にある世界はきっと青いはず。それを確かめに行く新しい道のりが、まもなく始まります。

 

「大好きは色を変え、音を変えてどこまでも」

*1:ファンが勝手に掘り下げていく面もある

*2:5thライブ Next TOKIMEKI公演 Day.2

*3:https://twitter.com/LoveLive_staff/status/1587370806090248192?s=20&t=EZh9Qr4r_Nc960P3dAgEjg

*4:Kusunoki Tomori Birthday Live 2022『RINGLEAM』