思索の試作

impulse to discuss

夏陰とは何か:『COCYTUS』と『ハルカゼ』に呼応して

※本稿は一部で『EPISODE 4.0 AXiS』第8話までのネタバレを含みます。閲覧にはご注意ください。

※『NATSUKAGE -夏陰-』はフルサイズ楽曲のリリース前であり、解釈には筆者の予想が多分に含まれます。あくまで一意見としてお受け止めください。

1. はじめに

2019年5月9日夜、777☆SISTERS(以下、777☆S)としては『MELODY IN THE POCKET』以来となる新譜『NATSUKAGE -夏陰-』のトレイラーが初公開されました。「『EPISODE 4.0 AXiS』をエンディングテーマとして彩る」*1とも付言され、Tokyo 7th シスターズ(以下、ナナシス)の物語を大きく進める仕掛けとして期待が集まっています。

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筆者は初めてこのトレーラーを視聴したとき、曲調(?)がAXiSの『COCYTUS』と似ているのではないかと直感的に疑いました。そしてよく注意して見れば、この2曲には偶然とは断じがたい共通点がいくつも探し出せることに気が付きました。

本稿ではその『NATSUKAGE -夏陰-』と『COCYTUS』の対比(2.章)をもとに、さらに『ハルカゼ~You were here~』との関連(3.章)も加えて、新曲『NATSUKAGE -夏陰-』の意味するところが何であるか(4.章)を検討します。

 

 

2. 『NATSUKAGE -夏陰-』と『COCYTUS』

『COCYTUS』は2019年2月に衝撃をもって迎えられたAXiS『HEAVEN'S RAVE』のカップリング曲です。『NATSUKAGE -夏陰-』のトレイラーが公開されてたちまち、巷(おもにツイッター)ではこの2曲の親和性の高さが噂されました。

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まず音楽的には*2『COCYTUS』のサビ前2小節を除けば両者のAメロからサビまでが違和感なく一致する、すなわちテンポとコード進行(?)が一致することがすでに指摘されています*3。どちらもサビの4つ打ちが特徴的であり、どことなく曲調が重なるように感じられるでしょう。

つづいて映像に注目します。画面に質感を与えるような特殊効果(フィルター)として以下のようなものが共通して使用されています。

  • 視界が霞むようなピンボケ(ブラー)
  • 画面を横切る赤みがかった/白みがかったモヤ*4

特に珍しい技法というわけではありませんが、これらによって朧げで幻惑的ともいえる印象が映像に加わっていることがわかります。

それだけでなくさらに決定的なのが、どちらもサビ後半でキャラクターのイラストに変化が現れるという点です。具体的には、『NATSUKAGE -夏陰-』のハルが瞳と口を閉じて笑顔を見せた一方、『COCYTUS』のネロは無表情のまま瞳を閉じたのです。

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もともとは静止しているイラストにさまざまな効果を足してダイナミクスを演出するのがモーショングラフィクスですが、このようにイラスト自体に差分を用いたトレイラーPVは現在のところナナシスではこの2曲のほかにありません(のはず)。曲中のタイミングも顔の部位も一致していることからほぼ意図的と思われるこの対比関係が、777☆SとAXiSの違いを象徴的に際立たせています。

人はどんなときに微笑むでしょうか? だれかを見かけて会釈するとき、嬉しい事があったとき、何かにわくわくしているときなど様々ですが、どれも「対象となる人やものがあってそこに好意を向けようとする」表情であることは確かでしょう。それに対して人が黙って目を瞑るのは、眠りに落ちる前だとか、電車で一人座っているときとか、興味の湧かない授業中だとか…。眠たいと言えばそうですが強いて言うならいずれも「周囲に対象となる人やものがなく何も見つめる必要がない、または対象があってもそこから目を背けたい」とする内面がうかがえるのではないでしょうか。それぞれが直面しているものは異なれど、微笑むハルと目を瞑るネロ。これは端的に言えば、777☆Sは他を受容し/AXiSは他を拒絶するという態度の差を明確に物語っているといえます。

3. 『COCYTUS』と『ハルカゼ~You were here~』

ところで2019年3月に初公開されたAXiS『COCYTUS』は、遡って2017年4月に発売された777☆Sのシングル『ハルカゼ~You were here~』とも対になっている、と多くの人々から指摘されています*6

ここでも2曲の最大の共通点はキャラクターイラストです。どちらも降り注ぐものを手のひらに載せるかのように、空のほうを見て手を額より高く掲げる姿勢をとっています。空を舞うものは一方では燃えかすのような灰色の欠片、一方では散りゆく桜の花びらです。

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さらに声の出演については、セブンスシスターズの七咲ニコル役・AXiSの天神ネロ役を務める水瀬いのりさんと777☆Sの春日部ハル役を務める篠田みなみさんが、『ハルカゼ~You were here~』付属の短編アニメーション『t7s Longing for summer Again And Again ~ハルカゼ~』においてはそれぞれ涼原カホルと鳴海アカネのCVを担当されています。『ハルカゼ』アニメはハル達の生きる2034年より少し下った2040年が舞台で、カホルとアカネもナナスタメンバーとは無関係であるとされていますが、七咲ニコルと春日部ハルの関係や天神ネロと春日部ハルの繋がりがその声を接点としてこの2人へ投影されたものと考えるのも面白いかもしれません*8

4. 夏陰とは何か

主題を『NATSUKAGE -夏陰-』に戻して、上述のギミックを踏まえながらタイトルと歌詞の物語的な解釈を試みます。

 

まず『NATSUKAGE -夏陰-』という曲名についてです。「夏」「ハル」と「陰」「カゼ」の単語に分解すれば、これは『ハルカゼ~You were here~』との対句になっていると考えられますが、その「夏陰」とは一体何のことでしょうか。

現代語で"かげ"と訓読みできる常用漢字には"影"と"陰"の二字があり、詳細な語法は省略しますがどちらも"光などが物によって遮られることで生じる隠れた部分やそのシルエット"のことを意味します。ではこの曲でいう「陰」では何が何に隠されているのか、それは結論から言えば「青空」が「入道雲に」隠されたことで生じた陰を指すのではないかと筆者は推測します。

改めて述べるまでもなく、ナナシスにおいて「青空」は特別な意味を持った言葉です。青空は誰でも・どこにいても見上げればそこにあるもの、多かれ少なかれ誰もが憧れを抱くもの、それでいてたどり着くのは簡単ではないものです。転じてナナシスではかつてセブンスシスターズが昇りつめ777☆Sが目指しているアイドルの頂点のメタファーとして多用されています。たとえばナナスタ初のシングル『僕らは青空になる』ではゲームエピソード1.0を経て「彼女たちが手に入れた決意*9」が宣言されたし、昨夏の日本武道館公演では777☆Sのキャスト12名が初めて青空を模したステージの上に立ちました。ずっと「青空」を下から見上げてきた彼女たちが遂にそこへ足を踏み入れようとするという、ナナシスの物語上きわめて大きな出来事でした。そのライブと同名のメモリアルシングル『MELODY IN THE POCKET』でも同様のジャケットイラストが採用され、「青空に 届きそうだよ 今にも」と高らかに歌われたことも記憶に新しいでしょう。「青空」は常に彼女たちが歩む先にある崇高な目標であり続けているのです*10

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しかし、青空はいつだって見えるわけではありません。青空が美しく映えれば映えるほど、焼けるような強い陽射しが地面に照りつけ、そこから生じた多量の水蒸気が上昇気流となって上空に滞留します。積乱雲、入道雲の発生過程です。入道雲は瞬く間に青空を覆い隠し、それまでの晴れ間が嘘だったかのような激しい雷雨を降らします。これはもちろん、777☆Sの前に立ちはだかる屈強な刺客であるAXiSを表す比喩でしょう。

この入道雲もまた作中で象徴的に表現されています。例えば『EPISODE 4.0 AXiS』の第1話では早くも、「この時はまだ、誰も気がついていませんでした この出会いが…… 私たちの運命を 大きく変えてしまうことになるなんて」という春日部ハルのモノローグとともに、晴れ渡る青空へ差し迫る入道雲が現れます。777☆Sを行く手を阻む大きな波乱=AXiSの到来を予感させるイラストです。このシーンがエピソード4.0全体のタイトルコールとなっていることからも、その意味するところは想像に難くありません。また奇しくもと言うべきか、このイラストの構図は『FUNBARE☆RUNNER』のサビの歌詞「見上げれば青と入道雲そのものなのです。

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エピソード4.0が進むにつれてこの入道雲は青空をみるみるうちに侵食していき、やがて鉛色の空がTokyo-7thを覆うようになります。AXiSが突きつける苛烈な現実を目の当たりにした彼女たちは、空を見上げることもせず、傘もささずに、群青色の道標を見失ったまま彷徨います。雨の降り止まない淀んだ空気感も相まって、誰かを励ますのはおろか今は自分も笑っていられないその姿は悲痛というほかありません。

これらのことから、「夏陰」とは「青空」を目指す777☆Sに対峙するAXiSが扇動した混乱、ないしはそれを通して浮き彫りにされた経済特区の広く深い闇を指す隠喩であるといえます。

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続いて現在公開されている『NATSUKAGE -夏陰-』1番の歌詞を、筆者の仮説を交えて解釈します。*13

日ごと高くなる青空のゆくえを

ひどく眩しそうに見ていたあなたの

声が遠くなって気がついた*14

冒頭で歌い手(777☆S)が語りかける「あなた」が登場しました。この「あなた」は青空を眺めていたのですから当然「青空」自身ではないうえに、「ひどく眩しそうに」という言葉からはその「青空」を直視できずどこか煩わしく思っているようにも映ります。ここで「青空」はセブンスシスターズ、「あなた」はAXiSに対応すると仮定すれば、日夜勢いを増す一方のセブンスシスターズを傍観するしかなかったAXiS(あるいは天神ネロ?)の姿と重なります。そんな「あなた」の「声が遠くなった」、すなわち(あらゆる騒動が収束したあとに?)AXiSが777☆Sのもとから離れてゆくようすが想像されます。

またこの季節がやってきて温もりをさらうよ

「この季節」は曲名からのことだと推測できますが、「温もりをさらう」という表現はその夏という季節の"有害性"が暗示されている、と筆者は考えます。

夏は一年の中でも上に述べた青空が最も澄みわたる季節です。ナナシスにおいてどこまでも透き通った夏の空は、アイドル達を照らして目指す場所を示す自己実現の錦の御旗として在ったのでした。ところが反面、容赦ない夏の陽射しは人々へ牙を剥くこともあります。真夏になれば熱射病や脱水症状などの被害のニュースが毎日並ぶのもけして珍しくはありません。求めようとも求めずとも、その日光は誰のもとにも手加減なく降り注ぎます。天神ネロは、かつてセブンスシスターズの隆盛が他のアイドルを窮地に追いやった構図をこの夏空の凶暴さになぞらえて批判しています(第8話)。

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猛暑の中にあっては、他人の体温を感じ取る感覚すら奪われてしまう。周囲の気温がヒトの平熱に並ぶほど著しく高いためです。これは俵万智が「「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ」と詠んだ冬とは対照的でしょう。頭上の青空に没頭するあまり、同じ地平に暮らす他者の温もりに盲目的なってはいないか。この輝かしい青空のウラに、彼ら/彼女らの犠牲や痛みがあることを忘れてはいないか。あくまで筆者の解釈ですが、「温もりをさらう」という一節は、そのような天神ネロから春日部ハルに向けられた警告とひと続きになっているのだと思います。「ナナシスの夏、ハジマる!!」*15「また夏が来たよ、支配人さん!」*16ほぼ一方的に夏が憧れの対象とされてきたナナシスにおいて、夏ないしは青空に対して批判的な示唆が与えられたのはこの歌詞が初めてなのではないでしょうか。

(そっと)耳元を(めぐり)すく風が

歩き出せずにいる私を叱る

右手に残ったさよならが今も痛むよ

左手伸ばしてつかもうとするけど

触れられずに肩越し響いたの

あなたのいない夏の足音

そしてBメロからサビにかけては救いようのない別離の嘆きが表れています。

「あなたのいない夏」より、語りかけている相手(AXiS?)が既に失われた存在であることが明らかとなります。また「さよならが今も痛むよ」「風が歩き出せずにいる私を叱る」とあるように、それによって歌い手(777☆S)の側はまだ行動を起こせないほどの失意のさなかにあることがわかります。例えば上述の『ハルカゼ~You were here~』が「涙を隠しながら 誰かの背中を押すため」*17の歌とされていたのと比べて、同じ別れの歌であるはずの『NATSUKAGE -夏陰-』ではそのような離れゆく誰かを応援したり慰めたりする意図が全く汲み取れないのです。こうしてただ別れの悲しみだけを述べることに終始するという点も、これまでのナナシスの楽曲群ではまずあり得なかったことでしょう。そこには彼女達が追い求めてきた「アイドル」像はありません。誰かを後押ししたり見守ったりできるような存在こそが彼女達の定義する「アイドル」だからです。今はそれ以前に一人ひとりの人間として大きな喪失に打ちひしがれているようにも見えます。

 

5. おわりに

以上が『NATSUKAGE -夏陰-』に関して筆者が提案する一解釈です。同曲は『EPISODE 4.0 AXiS』のエンディングテーマ、つまりAXiSによる一連の擾乱が幕を引く(であろう)ときに捧げられる曲です。そこでは未だ癒されることのない喪失の経験が777☆Sによって綴られます。「(承前)すべてを灰にしちゃる。そんで、燃え盛る業火の中で、高らかに笑っちゃるばい。」*18という天神ネロの予告や、「―溢れかけた涙ごと 灰になってもかまわない」*19という『COCYTUS』のキャッチフレーズを勘案すれば、777☆Sが失ったのは自分たちごとすべてを燃やし尽くそうとして消え去ったAXiSなのではないか、との推測が成り立ちます。その点で、大いなる存在を失ってしまった777☆Sによる『NATSUKAGE -夏陰-』は、2.章で確認した共通点を介して、何もかも失ってしまいたいと望むAXiSによる『COCYTUS』へのアンサーソングとしての役割をも果たすのです。

とはいえ、ジャケットイラストには日常的なナナスタ事務所の風景が描かれており、777☆Sのメンバーたちはこれまでの「夏」を取り戻すことも予感されます。もしAXiSの大禍を乗り越えた先で彼女たちが再び目標へ向けて歩き出せたのなら、それは『僕らは青空になる』の「雲が晴れて 僕ら青空になる」 という歌詞が宣言した通りの展開なのだろうと思います。

 

なお、これらの推察は本稿公開時点(2019年6月初旬)での筆者の考えをまとめたものであり、今後公開される『EPISODE 4.0 AXiS』のストーリーや『NATSUKAGE -夏陰-』2番以降の歌詞のいかんによっては異なった捉え方ができるようになる可能性があります。また本稿で検討した以外にも、前述の『ハルカゼ』アニメ登場人物と七咲ニコル・天神ネロ・春日部ハルのCVが共通しているのはなぜか、『NATSUKAGE -夏陰-』のイラストでハルが微笑んだ相手は誰なのか、サビの「右手」「左手」に意味はあるのかなど、まだまだ疑問は絶えません。

 

*1:https://twitter.com/t7s_staff/status/1126426870528921600

*2:筆者は作曲技術に関して全くの素人なので軽く触れるに留めます…。

*3:https://twitter.com/sousyu_t7s/status/1126481967581499394 および 

https://twitter.com/sousyu_t7s/status/1126484308426805249

*4:『NATSUKAGE -夏陰-』ではあまり多くありませんが、例えば1分12秒前後で画面が赤っぽく明滅しているのがそれです。

*5:それぞれ上記の動画内より。以下同。

*6:https://twitter.com/COCO_09m/status/1111207416488591360 ほか

*7:2枚目はhttp://t7s.jp/release/cd.htmlより。以下同

*8:これについては今後の課題とします。

*9:http://t7s.jp/release/ingame/16.html

*10:ナナシスと青空に関してはhttp://nki26.hatenablog.com/entry/2019/01/19/235200なども参照

*11:Tokyo 7th シスターズ』ゲーム内『EPISODE 4.0 AXiS』第1話より

*12:同第8話より

*13:フルサイズ楽曲公開後に追記するかもしれません。

*14:上記動画より筆者が聴取。以下同

*15:『僕らは青空になる』CD帯フレーズより

*16:2018年7月・メモリアルライブ『Melody in the Pocket』in 日本武道館にて

*17:https://www.jvcmusic.co.jp/t7s/1159/

*18:同第8話より

*19:上記『COCYTUS』動画説明文より